取らぬNTRのゴム算用

自己責任論の社会に生きてるみんな、久しぶりの首長です。

今日は最近あったことについてシェアしようと思う。

 病ナマポ生活を送ってる自分だが今度年下人妻とディズニーデートすることになった。中には「嘘乙」と思うかも知れないが事実だ。

きっかけはSNSでのやり取りで生き辛さを感じてる人を褒めまくったらデートに漕ぎ着けるまでになったのよ。勿論ただ褒めるのでなく共感・認知・称賛とこれまでの女性経験のノウハウを用いてのやり取りでここまで来たがいくつか問題が出てきた。

 

 れは自分がナマポ生活だと黙ってることだ。向こうはこちらを会社員として見てるし1泊2日のホテル代もこちらが負担、生活保護者には厳しい出費だ。他にも自分から出す場面はあるだろう。

それともう一つ気がかりなのは彼女が自分に気を許しすぎてるところだ。

こちらは退屈な日々の暇つぶしの相手になってくれたらなと想って接したのだが向こうはこちらに興味津々・エロ写メまで送ってくる事態。

向こうの家庭は子供はおらず機能不全を起こしているらしく別居か離婚は秒読み、もしかしたら既に指輪は外してるかも知れない。

そうなった場合女日照りの酷いフランケンシュタインと欲求不満の人妻の私達は不貞行為に至ってしまうと思う。杞憂で済めばいいけどそうはならないと私の第六感が言っている。

 

 社員だと思ってた男がナマポ野郎なんて知ったらどうだろう?彼女が地方から自分とこに飛んできたらどうしよう?そんなことばかり考えながら今もやり取りを続けている。

これを見てる中には「自業自得」「自己責任だろ」という人もいると思う。ごもっともだ。

でもな、有名な企業入ってパワハラに耐え婚約破棄まで喰らって酸いも甘いも天国も地獄も見てきた私が今感じるのはギリギリの金渡されて無限にある時間を一人で飽食してる今が一番充実しているという事なんだ。

人がそれぞれ思う幸せというのは無段階調節式で私はそれが人より低いのだと思う。だからこんな生活でも今が充実してる。

逆にエベレストぐらい幸せのハードルが高い人はいつまで経っても充実感や幸せを感じることはないだろう。

自分一人だったらこれぐらいの幸せで満足できてたものがそこにパートナーが追加されたら?恐らく今の幸せに相手は満足しないし高いハードルを要求するだろう。私も鞭打って働きに出て数年保険料払って首吊って保険金でチャラにしてくれ作戦をするかも知れない。というか30過ぎ空白期間長すぎ発達障害者に仕事なんてあるのか?下手なやっすい仕事するより保護もらってるほうが良いだろう。

 

 ートは楽しみだがその後の発展が怖いという話。不完全なフランケンシュタインに責任というものはあまりにもあまりにも荷が重すぎる。助けを求めたいが自分の元には蜘蛛の糸は垂れてこない